働き方改革!労災問題になる長時間労働・過労死から幸せ労働へーカンブリア


あなたの残業はどれくらいですか?

「過労死」という言葉を聞いて久しくなりますが、いまだ長時間労働はなくなりません。

過労死の労災認定基準の一つである残業80時間超えをしている人も少なくありません。

今回は、働き方を変えて業績もUPさせた企業に注目します。

残業時間はどれくらい?

ネタ元は、テレビ東京「カンブリア宮殿」2017年1月12日に放送された「ブラックからホワイトへ!”働き方革命”最前線」です。

この放送分は、「ネットもテレ東」公式サイトから見ることができます。(9月30日配信終了)

見逃した方はお早めに。

番組は、街頭インタビューで残業時間を聞くところから始まります。

ある公務員の方は月40~50時間、IT関連の若手社員は月30~40時間、建設業のある社員は多いときで月100時間以上と答えています。

建設業のこの方は「今いる部署は人手が足りず、残業しないと仕事が回らない」とのこと。

2020年東京オリンピックの影響でしょうか、現在建設業の求人はたくさん出ていますが、募集をかけてもなり手が足りず、そのため人手不足が解消されずに現役社員の負担だけが増えています。

インタビューに答えたこの方の健康が気になります。

広告業の一経営者もインタビューに答えていましたが、彼は「従業員には夜中まで働いてもらっている、多いと7~8時間。できる人ほど長時間働いてもらっている。」と語っています。

経営者として従業員の健康管理に気を配っているとは言い難いですね。

既に退職されている方たちへのインタビューもありました。

ある元商社マンの方は「早く家に帰る人は同僚からボロクソに言われた。『会社をやめろ』とか言われていた。」と語っています。

この方の最後の言葉が印象的です。

終わってみると、『家庭は大事にしないと』と思う。今ごろ遅いけどね。

そう語るこの男性の心には後悔の念が残っているのでしょう。

長く働くことが善、と思われていた時代の波に逆らうのは確かに難しいことです。

現在、この状況に少しの改善は見られるもののさほど大きく変わっていません。

過労死した一人の若者

人の働き方は企業の働かせ方の問題でもある、とナレーターは言います。

ここで、一人の若者、西垣和哉さん(享年27)の事例が取り上げられます。

西垣和哉さんの死に関する記事があったので載せておきます。

23歳でシステムエンジニア(SE)として働き始めましたが、4年後の2006年1月、27歳のときに命を閉じました。

2002年に大手電機メーカー系列の情報システム会社に就職してシステム開発に従事、大型案件を任されシステムエンジニアとして長時間労働を強いられました。

勤務記録が映し出されましたが、その働き方はありえないものです。

ある一日の勤務記録を見てみると、朝9時に始業し終業時間は32時30分つまり翌日の朝8時半。

そして、30分後の朝9時から再び始業しています。その日は夜9時54分に終業。

驚愕の37時間連続勤務です。

2004年ごろ、彼のブログにはこのような文面があります。

何かは分からないが助けて( ゚д゚)ホスィ・・・。

自分では処理しきれないことがありすぎる。

死ぬってことすら考えるときもある。

多い月には150時間超の残業があり、2年目にはうつ病を発症、それでも納期に間に合わせるため働き続けました。

2006年1月23日のブログには、

あと誰か一人今の仕事に人員を入れて欲しい。

この二日後、治療薬を大量に服用し、彼は帰らぬ人となります。

入社して3年9ヶ月のことです。

お母様の言葉がつらいです。

わたしたちが一生懸命育てた子どもですので、もう少し人間としての扱いをしてほしかった。

彼と同期だった方もインタビューに出ていましたが、この方も長時間労働でうつ病を患い、2010年に退職しています。

彼が見せてくれたその会社の当時の社内報には、10年目社員の働き方が紹介されていました。

朝9時~昼12時10分まで仕事、昼休憩を挟んで13時~23時まで仕事。

この会社では、これが普通ととらえられていたようです。

この男性も「100時間を超えている人はざらにいた。仕事とはそういうもので長時間労働せざるをえない状況に当時は疑問に思わなかった。」と語っています。

情報システム会社SCSK


情報通信業界は残業月80時間超過の業種第1位という、まったくうれしくない栄冠をもらっているのですが、この業界で働くある男性会社員の働き方が紹介されています。

金曜日午後3時、カバンを持って会社の外へ。

いまから外回りかと思いきや、そのまま帰宅。

午後5時前には、すでに家の中で息子の宿題を見ています。

その日は、週に一回ある早帰りの日なんだとか。

数年前までの金曜日は、土日に仕事を残さないために決まって残業、朝9時出社して深夜1時に退社、2時に帰宅というスタイルだったのが、今では午後6時半には一家団らんで食事ができる状況に。

ここで、経営者から役職員家族に対して送られた手紙が映されます。

文面の一部はこうなっています。

『一流企業』になるためには、『家庭生活』を充実させることが大切です。職員の皆さまが健康であり続けるために、最大限の支援をします。

この手紙を受け取った男性会社員の奥さんは「この手紙のおかげでいろんな不安を取り除くことができた。」と語っています。

こうした変化を起こしているのが、情報システム業界第5位のSCSK。

社員の実際の働き方はどうなのかというと、夕方のオフィスの様子が映し出されますが、午後5時半になると、従業員が一斉に退社準備。

あっという間に、オフィスから人がいなくなります。

以前は100時間近い残業をしていたシステム管理担当の社員は「今では月平均19時間の残業で済んでいる。」と語っていました。

この改革の旗振り役がSCSK相談役の中井戸信秀氏(70)。

中井戸氏の考え方は、

  • 規模が大きくても利益を出していても、従業員を犠牲にして残業をむちゃくちゃやらせているなら一流企業とは言わない。
  • 世間で『あの会社は立派だ、いい会社だ』と言われる会社、『自分の息子や娘を就職させたい』と言われ、かつ成果の出せる会社になるためには、働き方が大事。

中井戸氏のキーワードは「従業員ファースト」。

前職は住友商事副社長、2009年に子会社住商情報システム社長就任、2011年に同業のCSKと合併しSCSKの社長就任。

ある日、彼は社員を励まそうと社内を見て回ったとき、その働き方に「愕然とした」といいます。

月50~80時間残業する人がいて、会社に寝泊まりする人もいる…。

そんな働き方でまともな仕事ができるのか」と思ったそうです。

残業半減運動

この残業問題を減らすために行なったのが残業半減運動。

残業しない日を申告する残業申告制を導入、残業しない日は「ノー残業」の札をデスクの見えるところに立てておきます。

こうすることによって、ほかの人がその人に残業を頼みにくくさせる狙いです。

ほかにも、立ち会議の導入、会議時間は原則1時間など、何かとだらだらしやすい会議の改善を図りました。

また、残業を減らし有給休暇を取れば報奨金がもらえるという制度も導入、ある女性社員は残業時間を減らしたおかげで、ボーナスに12万円が上乗せされていました。

中井戸氏は、従業員の心に触れる働き方改革として、残業で浮いたコストを全額従業員に返還するという施策を打ち出しました。

これを始めた初年度、残業代が10億円ほど浮いたので、それを従業員に返還。

残業を減らせば、”残業代”を出す」というこの方針は、従業員の心をつかみ、残業代を生活費の頼みとしてきた人にも働く意識を変えさせる効果がありました。

正規の就業時間内で仕事を終わらせるなら、夜は家でゆっくり身体と心をリフレッシュさせることができるので、結果として仕事の質が高まります。

その成果は営業利益として表われました。

2008年度ごろ、会社全体として残業時間は35時間ほどでしたが、2010年度には26時間、2014年度には20時間を切りました。

営業利益は働く時間が少なくなったにもかかわらず、2010年度の140億円から6期連続の右肩上がり、2014年度は280億円、2015年度は317億円の利益を出しています。

働く意識や心の持ち方を変えれば、残業時間がたとえ20時間以下でも十分業績を上げられることが証明されています。

徹底した健康管理

社員は健康わくわくマイレージという健康管理システムによって、自分の健康状態を管理します。

出社後、会社が定めた健康チェックリストに答えます。

毎日記録するのは多少めんどくさいと感じる部分もありますが、健康基準を満たせばポイントとなり、そのポイント分がボーナス時に上乗せされます。

さきほどの残業を減らして12万円もらっていた女性社員は、わくわくマイル支給分として10万円がさらに上乗せされていました。

SCSKにはマッサージルームもあり、社員の健康を気遣う姿勢が見て取れます。

働き方改革をすすめる背景

中井戸氏は高度成長期後期に住友商事に入社。

当時、仕事はかなり忙しかったといいます。

それでも、入社1年目の研修終わりの7月に1週間の夏休みを取りました。

そのため、休み明けに上司から「新人のくせに1週間も休みを取るなんて生意気だ」と怒鳴られる結果に。

しかし、それに対して中井戸氏は「おかしいじゃないですか、決められた休みを取って何がいけないんですか」と言い返したそうです。

中井戸氏は当時を回顧し、「商社マンはモーレツ社員というイメージがあった。だけど僕はそれにはなじめなかった。

奥さまいわく、「接待はほとんどなかった。毎日のように定時に帰ってきた。」とのこと。

当時の接待は、場合によっては5次会まであったようですが、どうしても行かないといけない接待でも1次会が終われば、たとえ上司に怒られても失礼したそうです。

こうした考え方のきっかけになったのが入社3年目のドイツ赴任。

ある日、取引先のドイツメーカーに電話をかけ「日本の優れた製品を紹介したい。明日の夜時間が取れますか?」と尋ねたところ、

相手は「ダメだ。夜は家族と過ごす時間だから残業はしない。夕方までに話をまとめられるか?」という返事。

決められた時間内で高い成果を出すドイツ人と妙に波長が合いました。

96年にはアメリカ赴任。

シリコンバレーで生き生きと働く若者を見て、深く感銘。

彼らはすごく働くけれど、残業で追いまくられているのとは違う働き方、仕事はするけどゆとりがある。

働く時間を減らしても、生産性を上げれば業績は必ず上がるという信念は、こうした背景から生まれているんですね。

働き方をどのように変えたか

では、具体的にどのように働き方を変えたのでしょうか?

システムの開発の仕方を変える

これまでのシステム開発は、担当者がシステムを開発し納品直前にテストをする方法でした。

これではクライアントからの変更要望があったり不具合があったりすると、その度に作り直さなければなりません。

この作っては直し、作っては直しの作業が残業の温床となっていました。

そのため、最初から複数の人間が作りながらチェックする方式に変更。

一定のタイミングで、クライアントや別部署の人間にもチェックしてもらう階段方式を採用することによって、無駄な作り直しを減らすことができ、作業時間が減っても業績が向上する結果になりました。

クライアントとの密なコンタクト

以前クライアントとの打ち合わせは数カ月に1度だけでした。

それを2週間に1回に変更。

こうすることによって、クライアントの意向をいち早くキャッチできるようになり、無駄な作り直しが減ったとのこと。

ただこの変革は、当然クライアント側にこれまでの付き合い方の変更を求めるものです。

そのため中井戸氏は、SCSKの社員が有給休暇を取れるように協力してほしいという趣旨の手紙をクライアントに出しています。

「従業員ファースト」の実現のためには努力を惜しまない、クライアントにも協力要請をする、「従業員の幸せ」を見える化するためにできることは最大限する、こうした働きかけが、中井戸氏が目指す一流企業ということなのでしょう。

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